新型コロナウィルスの影響がなくなりつつある2023年秋、
フットボールにおける応援の扇動(先導)について一部で話題になっています。
元コールリーダーの発言の中で気になる単語がいくつかあったので、それに対しての感想を書いていきます。
最初にやったもん勝ち
おれが浦安の試合を初めて観たときは、既に別の方が応援を始めていました。
その方と、おれの考えがほぼ一致していたことで一緒に応援を始めてみて、気が付いたら中心メンバーになって、現在に至ります。
その方は、2018年の年始に移籍。以降、大まかな考えは変わっていません。
応援の手引き「~すべし」
この手引きを発行している球団の考えは、変わることがないでしょう。
ただし、相手サポーターの圧がJ1トップクラスの試合を経験すると「化学反応」の起きる可能性があります。
浦和レッズがJ2で戦った年、レッズサポーターを初めて目の当たりにしたJ2各チームのサポーターが応援を真剣に考え始めたように。
自然発生の応援 実際はすごく難しくて、実際にはない
元コールリーダーは、第三者にとって自然発生が起こっているように思わせる応援をしていました。
おれも、理想を書けば自然発生の応援がしたいです。
現在のブリオベッカでは「自然発生風味」の応援をしています。
おれは試合中に拡声器を使ったことがありません。(コールを始めることの多いサポーターはいますが)コールリーダーはいません。場合によっては子どもたちに拡声器を渡すので、試合終了後、おれは「拡声器はどこ?」と聞いたことが何回もあります。
分裂応援
実は、ブリオベッカでも2015年初期のホームゲームで経験しています。
後から来た方は「あいつらの邪魔をしてやろう」といった意思ではなかったので、数試合で解決しました。
怒りや悔しさは、本当の意味でのネガティブではない
球団によっては、怒りや悔しさを経験したり共有してほしくないところもあるでしょう。
しかし、そういった経験をしないと「本当の意味での一体感」は生まれません。文化を創れなければ、公共性のある球団にもなれません。
酷い試合も後々笑い話になる
酷い試合でも、後々笑い話にはできます。川向こう相手に5失点で大敗した試合も、今では笑い話にできます。最低最悪の試合という評価が恒久的に変わらないのは、JFLからの降格が内定した2017年開幕戦だけです。
阪神タイガースは公共性のある球団の最上級
タイガースは、関西の大手メディアが文化に育て上げた側面があります。阪神は、読売や中日のように、「球団の親会社=大手メディア」ではありません。大げさに書けば、関西のメディアはみんな阪神球団の野党。観客動員や成績が芳しくなければ、球団は袋叩きに逢い、擁護記事は出てきません。
90年代や2000年代前半、大阪のおっちゃんの多くは、「久万のおっちゃん」呼ばわりで球団オーナーの久万氏に苦言を呈していました(経済的には、球団のトップではなく年商3000億の組織の雲上人なのですが)。
ちなみに、ブリオベッカの都並監督は「サッカーを熟知して、試合もよく見た上での批判」は歓迎しています。監督としての向き不向きはともかく、浦安にサッカー文化を根付かせたい気持ちは十分伝わります。
サッカーの応援に限らず、政治の世界でも(ブーメランの投げ合いではなく)全うな批判を言える機会があることは、文化を成熟させるために必要なことです。
最初から正解の応援を求める
「応援は生き物」
最初から正解の応援なんて、できるわけがありません。
どんな球団でも、様々な紆余曲折を経た後に、一体感のある応援ができるようになります。
サポーターも少しずつ変わっていかなければならない
固定概念や成功体験に捉われる人は一定数います。世間では「老害」と呼ばれる方です。
レッズのサポーターは、そういった概念にとらわれず、選手をサポートする姿勢が素晴らしいです(名古屋サポーターの挑発があったとはいえ、天皇杯ラウンド16での乱入は大いに反省していただきたいです)。
10/8には大事なリーグ戦があるので、今日はこの辺にしておきます。
では。