今年の最初に3人の選手のレプリカユニフォームを買ったファンとして、寂しい思いでいっぱいです。
東京ヴェルディユースに所属していた富田は、当時ユースの監督だった都並さんがベガルタトップチーム監督に就任するにあたり、その誘いを受けて仙台に加入。
ルーキーイヤーの2005年 開幕戦は先発に大抜擢されますが、ポジションは左サイドバック。
JFLから昇格していきた徳島にホームで0-3の完敗。富田も後半10分でピッチから退くデビュー戦でした。
https://soccer-db.net/result.php?g=20050305008 (soccer-db)
都並さん率いるこの年のベガルタは、勝ちきれない試合が続き、終盤に差し掛かるまでサポーターからの支持を得られることはありませんでした。
しかし、最終盤には脅威の追い上げを見せ、ホーム最終戦ではサポーターから「都並コール」も起きました。
その後のリーグ最終戦は、「お察しください」。
翌2006年は、サンタナ監督に代わりますが、都並さんのときより出番が増えることはありませんでした。
その翌2007年はまた監督が代わり、望月達也さんが就任。徐々に成長し始めますが、千葉直樹、永井篤志、ジョニウソンからスタメンを奪うには至らず。語り草になっているゴールにも、富田の名前は出てきません。
その翌2007年はまた監督が代わり、望月達也さんが就任。徐々に成長し始めますが、千葉直樹、永井篤志、ジョニウソンからスタメンを奪うには至らず。語り草になっているパス回しからのゴールにも、富田の名前は出てきません。
翌2008年、また監督が代わり手倉森誠が登場。
開幕前のキャンプで、不祥事が発生します。俗にいう車の上に昇格事件です。
この年も序盤は低迷。シーズン途中から斉藤大介が加入し、何とか持ち直して入れ替え戦出場の3位でリーグ戦を終えます。
センターバックの木谷公亮が欠場したこともあり、富田はスタメンで出場。しかし、この頃全盛期だった松浦拓弥を全く止めることができず、アウェイでの第2戦は2失点に直結する出来でした。
結果として2試合合計2-3で敗れ、ベガルタはJ1昇格ならず。
2009年は手倉森監督が継続。
中盤戦までは出番が少なく、FW中原がPA外からヘディングシュートを決めた試合も出場はありませんでした。
しかし、夏が過ぎてからはスタメンに定着。
千葉直樹がベストゲームにあげていた西が丘でのヴェルディ戦も、アンカーにいたダニルソン(翌年名古屋に移籍)と互角以上に渡り合ったコンサドーレ戦も。
そして、この年はJ1昇格とJ2優勝を果たします。
やっとJ1の舞台にたどり着いた2010年。富田は多くの試合でスタメンに出場。千葉直樹や斉藤大介と共にハードワークで貢献。夏までは勝点を稼げず苦しいシーズンでしたが、夏場に赤嶺が期限付き移籍で加入すると、試合内容が劇的に改善。最終節で何とか残留を確定させました。この年は北朝鮮代表のリャンヨンギや日本代表に初選出された関口訓充が注目を集めたシーズンでした。
翌2011年。開幕直後、東日本大震災が発生。再開直後のアウェイ川崎F戦は、途中出場でした。
5月14日のホームジュビロ戦からは、ボランチが角田誠とのコンビで固定されます。
この年は、リーグ戦34試合の失点数が25。GKやCB、チーム得点王(14点)の赤嶺と2位の菅井(7点。ポジションは右サイドバック)が注目を集めました。
そして、2012年。チームも富田自身も最高の出来を見せます。赤嶺と新加入のウイルソンがゴールを量産。CBには上本大海が加入し、DFラインも高くなりました。その結果、富田は中盤でのボール奪取を随所で魅せます。この年に在籍していた選手は、「球団歴代得点ランキング」で軒並み上位にランクイン。
チームはリーグ戦2位でシーズンを終え、優勝は果たせなかったものの、ACL本戦への出場権を獲得。
この年のシーズンオフ、サッカーダイジェストのアンケートで
明神智和から「守備力がとにかく凄い」という評価を受けます。
おれは ただのベガルタ好きですが、4年前の入れ替え戦からの成長ぶりを改めて実感しました。
2013年 ACLでも、中盤での仕事っぷりは健在。周りの選手は攻撃力を発揮し、左サイドバックがクロスを上げて、右サイドバックがヘッドで叩きこむゴールもありました。しかし、グループステージ最終戦であと1点が取れず敗退(2-2のドローに持ち込んでいれば、フェアプレーポイント差でラウンド16進出でした)。
ACL敗戦以降、チームは低迷。後に富田はキャプテンに抜擢されるも、数年間残留争いを余儀なくされます。
ボランチの相方が三田 啓貴となるトミタトミタ時代が来るまでは。
リーグ戦は中位でしたが、2017年はナビスコカップベスト4。2018年は天皇杯決勝進出。
その決勝ではオリヴェイラ率いるリアリスト浦和レッズに敗戦。
この頃にはチーム連続在籍年数が10年を大きく超え、「チームの顔」となっていきます。椎橋 慧也や松下 佳貴とコンビを組んだときは、その選手の長所をいかんなく発揮できるような「ポジショニングの気配り」をしていました。
個人的には、大谷秀和のように20年以上プレーし続けてほしい思いもありましたが、2022年末をもって現役引退。
今にして思えば、富田晋伍の出来とチーム成績は比例しているように見えます。
少し休んだ後、ピッチ外の黒子としてベガルタに貢献してほしいです。
ひとまず、お疲れ様でした。