おれが好きなJリーグのチームは、1回だけACL(アジアチャンピオンズリーグ)に出場したことがあります。
今から10年前 2013年のことでした。
昔のおれは熱狂的サポーターだったので、ブリーラムにも1人で遠征しました。
0泊3日の行程で。
試合当日早朝 バンコク到着
スワンナプーム国際空港に到着したおれは、すぐさまタクシーで「当時は優等列車のターミナルだった」フアランポーン駅に向かいます。
早朝だったので、空港から30分ほどで到着。
この駅で、ブリーラムまでの往復きっぷを購入。
(現在はネットでも購入でき、航空券のように自宅でも発券可能)
バンコクからも長旅となります。
ブリーラムまでの車窓は、本当にのどか。
途中の駅では、昼飯の立ち売りもしていました。
通常であれば7時間半程度の所要時間です(バスだと6時間程度)。しかし、前日に酷いスコールがあったため、バンコクから9時間掛かってブリーラム駅に到着。
ブリーラム到着
日本に例えると、磐田に来たような感覚です。
駅前に出ていた屋台で腹ごしらえ。
1本20円くらいでした。
駅前を散策していると、この日の試合を大々的に告知していました。
ACLは大イベントであることを思い知らされます。
駅前からは2ケツのスクータータクシーに乗りました。
おれはノーヘルで背中にリュックを背負っているのに、80km/hくらいで飛ばします。アウェイの洗礼。
あっという間にブリーラムの誇るスタジアムに到着。
当日券を購入し、アウェイ専用ゲートからスタジアムに入ります。
中国やインドネシアのように、ボディーチェックは無かったです。(現在は不明)
タイ国内の試合では、スタンド内で水を飲むことは禁止されています(現在も)。
水分はコンコースで預けなければなりません。
しかしおれは(後述)
スタジアム入場
スタジアム内は、大きな1層建てになった鳥栖スタジアムのような雰囲気です。
おれはサポートに集中していたので、↑の写真以降、スタジアム退場まで1枚も撮影していません。
当時のレギュレーションとして、グループステージは4チームがホーム&アウェイで対戦。2位までがラウンド16進出。なのですが、この年から始まったルールとして勝点が並んだ場合は、得失点差ではなく、当該チームの対戦結果が優先。(現在は別ルール)
このレギュレーションを採用した結果、グループステージ6試合中5試合目ですが、
勝ったチームはラウンド16進出決定。負けたチームはグループステージで敗退。
天国と地獄がハッキリ別れる状況で迎えました(引き分けた場合は、最終戦に持ち越し。最終戦のスコアの良かったチームがラウンド16進出)。
千葉県内の自宅から寄り道せず18時間かかって来た海外アウェイは、本当に燃えるものがありました。
ホームのブリーラムを応援するファン・サポーターは19,000人。アウェイチームを応援するサポーターは50人程度の完全アウェイでキックオフ。
試合開始
ホームの大声援を受けて、ブリーラムが攻勢に出ます。
ブリーラムのコールリーダーは、オーナーの婦人。お雇い応援団も十数人いて、とても賑やかに見えました。
半端じゃないアウェイの雰囲気。
2011年にリーグ優勝した絶頂期の柏レイソルでさえ、翌年このスタジアムに乗り込んで敗北を喫しています。当時のネルシーニョ監督が「ものすごくパワーのあるスタジアムだ」とコメントしたとおりの空間。レイソルのサポーターに言わせれば「愉快な地獄」。
ベガルタは若干ターンオーバーしたこともあって、少し押される展開。
リーグ戦であまり出番の無かった武藤雄樹がボールを前に運びますが、良い形になりません。
この試合はエンドが変わって、ベガルタはサポーターのほうに攻める形となり、応援に熱が入ります。
試合が一時止まったときは、バンデーラの影に隠れて水分補給。
実は、ポケットの中に小さなペットボトルをこっそり忍ばせていました。
これの他に2~3人だけ、同じ行動をとっていました。
試合は大きな動きのないまま、前半はスコアレスで折り返し。
前半が終わっただけなのに、タイ特有の高温多湿で、試合が終わったときのような疲労感があります。
勝負の後半。
立ち上がりに試合が動きます。
セットプレーのピンチから失点。目の前のゴールネットが派手に揺れます。
決めたのは、ブリーラムのスペイン人センターバック オスマル バルバ(2018年にはセレッソに所属。現在はFCソウル)。
2月のホームゲームでも、コーナーキックのピンチから同様の失点を喫しています。どちらの失点も、プレースキッカーは、日本でもおなじみのティーラトン。
ホームチームに先制点が入り、スタジアムは熱狂の渦に包まれます。
ベガルタは反撃を試みますが有効な手立てがなく、ブリーラムのカウンターを浴び続けます。ベガルタはファールで止めるシーンも多く、ブリーラムのサポーターはヒートアップします。
左サイドバックの石川直樹が負傷し交代を余儀なくされ、窮地に追いやられます。
ベガルタのサポーターは少ない人数で懸命に声を出しサポートしますが、劣勢を跳ね返す力にはならず。
後半35分ころ、ベガルタは最後の交代で(当時は交代枠が3人)中原貴之を送り込みます。
中原は「利き足が頭」と言われるほど空中戦に強く、クロスからのヘディングシュートには定評があります。
しかし、ブリーラムの誇る強力センターバックには通用せず。
ベガルタはシュートを打てないまま時間だけが過ぎていきます。
この時間帯以降、おれはサポートをしながら、日本にいるサポーターの顔が浮かんできました。
このまま負けてしまえば、ベガルタのACLは終わってしまいます。
何とかしたい。その想いだけで跳ねて声を出し続けます。
しかし、ブリーラムにシュートを打たれまくります。その度に湧くブリーラムのサポーター。
そして、後半ロスタイムに突入。本当に時間がありません。
ベガルタはセンターバックの渡辺広大が最前線に張り付きます。
ロスタイムは2分台に入ります。ベガルタの右サイドの蜂須賀は、体勢が不十分なままクロスを入れます。
ブリーラムのキーパーがパンチングに行きますが、ボールは失速。体勢が不十分だった様子を見ていた渡辺広大がヘディングで競り勝ちます。
そのボールは、ベガルタのFWの元に飛んできます。すかさず、ジャンピングボレーでシュート。
ボールは、ブリーラムのDF陣をすり抜け、反対側のゴールに吸い込まれます。
ベガルタのコールリーダーやその周辺は、応援が一時ストップ。
このときおれは、副審2が旗でゴールラインを一瞬指して、ハーフウェーラインに小走りで向かう様子を確認しました。
劇的ゴールが決まって大はしゃぎすることもなく、「何とか生き残れた」幸せを噛み締めます。過去にコールリードの経験もあるサポーターと、無言で力強くハイタッチを交わしました。
試合が再開して20秒後に試合終了の笛が鳴ります。
ベガルタ仙台、日本へ生還。
ブリーラムサポーターからは大きなため息が、ベガルタサポーターからは雄たけびが上がります。
選手があいさつに来た時、おれはうっすら泣きました(リーグ最終節後半ATでJ1残留を決めたとき、東日本大震災直後の逆転勝利でも泣かなかったのに)。
少し経ってから、テレビのインタビューを受けていた中原貴之もあいさつに来てくれました(サポーターは、中原が脚でビューティフルゴールを決める印象が全くありません。なので、ゴールを決めたのは誰か分からなかったのは、ここだけの話)。
ベガルタのサポーターは、興奮が全く収まりません。おれは、ブリーラムのサポーターに向かって「ざまあみろ!!」と叫びます。緩衝帯があるとはいえ、誉められた行為ではなかったです。
少し落ち着いて、中心部のサポーターが掲示した横断幕の片づけをしてから、スタジアムの外に出ます。
【ACL】仙台が土壇場で追いつき敵地でブリーラムとドロー 中原殊勲のボレー弾(ドメサカブログ)
スタジアム退出
スタジアムのすぐ脇にあるコンビニに入り、コーラを購入。店を出た瞬間に一気飲み。
今までの人生で、最もおいしい飲み物でした。
スタジアム正面には、ベガルタの選手バスが停まっていました。
おれは少し時間があったので、この場所で少し待機。決して「バス前集合」ではありません。
武藤雄樹に(ガラガラ声で)ナイスプレーと声を掛けたとき、「ありがとうございます!」と元気な返事が返ってきました。頼もしい限り(ちなみに この4年後、武藤は浦和レッズでACL優勝に大きく貢献。決勝は2試合ともフル出場)。
スタジアム周辺の渋滞が少し収まったところで、おれは三輪タクシー「トゥクトゥク」でブリーラム駅に引き上げます。
駅近くの大衆食堂でインスタントラーメンを食べます。
当然、ブリーラムのサポーターもいましたが、おだやかな友好ムードでした。
ブリーラム駅からは寝台列車に乗車。
移動疲れ&応援疲れで、あっという間に爆睡。
気が付いたら朝を迎え、車掌さんに起こされました。
バンコクに着いてからは、少しだけ王宮を観光して、夜には千葉県内の自宅に戻りました。
これで、0泊3日の弾丸遠征は終了。
6日後のグループステージ最終戦に備えます。
その後のACL
仙台スタジアムでのグループリーグ最終戦。
ベガルタは中国の江蘇舜天に1-2で敗戦。勝てなくても2-2のドローであれば、フェアプレーポイント差でブリーラムを逆転してラウンド16進出でした。
一言では言い表せないような喪失感に襲われたおれは、翌日の仕事を欠勤。
あてもなく、ひとりで青森県の大間岬に向かいました。
最果ての地が、とても空しく寒かったことは、よく覚えています。
その後、おれはベガルタの応援を半ば休止。理由はお察しください。
現在
10年前の想像とおり、ベガルタはACLの舞台から遠ざかってしまいました。現状それどころではありません。
ベガルタが再びACLに出場するには、
(10年前に経営危機を迎えた)アビスパのように株主構成が変わり(いろんな会社が持ち回りではなく1つの企業が主体となる)、
【アビスパ経営危機】アビスパ支援「ノー」、株主企業の福岡銀・西鉄トップが表明(ドメサカブログ)
サポーターもアビスパのように変わる(2000年代後半はJリーグでも指折りの暴れっぷりだった記憶)ことが必須。
アビスパサポーターの横断幕「藤枝ブルックスFOREVER」が話題に(2014年 ドメサカブログ)
フットボールの世界で10年間という時間は非常に長く、江蘇舜天に至っては、2021年にクラブが消滅しています。
ACLを戦っている間は、本当に楽しかったです。今でも、ブリーラムに行けなかったサポーターから、当時の遠征を羨ましがられます。
アジアの舞台から去るときは、突然やってきます。敗退した後の喪失感は半端じゃないです。
家庭や仕事など価値観は人それぞれですが、グループリーグ最終戦のアウェイ・ブリーラム戦はヴァンフォーレサポーター最後のACLになってしまう可能性もあります。おれとしては、ブリーラム戦がヴァンフォーレ最後のACLになってほしいなんて思っていません。ベガルタが行ったことのないラウンド16に進出してほしいです。
ヴァンフォーレに関わるみなさんが、悔いなくサポートすることを願っています。では。