おれが、オシム氏の逝去を知ったのは、今朝でした。
一報を聞いたとき、悲しいとかショックという気持ちよりも先に、不思議な感覚がありました。
昨日は、ゼットエーオリプリスタジアムに行って、ブリオベッカのアウェイゲームを観戦したときのこと。
スコアレスドローで試合が終わって落ち着いた心境になったとき、「オシム監督は、この古い陸上競技場で采配を振るったのか」と感慨にふける時間がありました。
なのに、個人的には、オシム監督の姿を現地で観たことはないです。それでも、1人の人間として、本当に深みのある方という印象があります。関連書籍も、いくつか保有しています。
オシム監督を日本国内で有名にしたのは、書籍よりもマスコミ向けの会見です。
おれが好きな会見はいくつかあります。とてもありがたいことに、ジェフ公式HPでは、2000年以降のリーグ戦において、監督の試合後会見議事録が見られます。
2003年1stステージ神戸戦後の会見内容はhttps://jefunited.co.jp/top/matches/2003/0412/interview/
ブリオベッカが最低なホームゲームをした試合後のレポートに、この会見の文章を(ほとんど)コピペしたこともあります。
他に印象的な記事は、2003年2ndステージの仙台戦
(現時点で、ジェフがベガルタと対戦したのはこの日が最後)
https://jefunited.co.jp/top/matches/2003/1018/interview/
かの有名な2003年1stステージ磐田戦後
https://jefunited.co.jp/top/matches/2003/0720/interview/
この試合は、YouTubeにダイジェスト動画がアップされています。
2017年12月にも、全く同じ内容で書いたことですが、
以下、オシムの言葉 (集英社文庫)の一部抜粋
来た!足元に山岸から絶妙なクロスが届けられた。
フリーだ。ただヒットすれば勝利が来る。
同時に優勝をほぼ手中に収めることができる。
足を振る。決まったと思った。
しかし。ボールには触りながらも、軌道は定まらなかった。
黄色い悲鳴と水色のアンドの叫び。勇人は責任の重さと悔しさに点を仰いだ。
-中略-
ミックスゾーンにいた勇人は、悔しくてたまらなかった。
そこに記者が話しかけた。
「監督に最後の佐藤のシュートが残念でしたね、と聞いたんだよ。
そしたら、『シュートは外れるときもある。それよりもあの時間帯に、
ボランチがあそこまで走ったことを、なぜ褒めてあげないのか』
といわれたよ」
全身が痺れた。この人はどこまでも自分たちを見てくれている。
試合レポート(ジュビロ公式HP)
試合レポート(ジェフ公式HP)
この文章を見て以来、おれの心の中で決めたルールがあります。それは、
ウチの選手がシュートを外しても、SNSやブログではその選手の個人名を出さない(勝ち試合を除く)
この勝手なルールに気づいているファンは、誰一人としていないと思います。
個人名を出して「シュートを外してしまい、勝点を逃した」なんて書けば、選手は消極的になりがちです。その反対に、どんどんシュートを打とうとする雰囲気づくりは、意識しています。
具体例をあげれば、ミラ監督が率いていたころの鈴鹿
他に使わない単語があるとすれば、
「自分たちのサッカー」(参照:オシムと阿部勇樹が2017年12月にサラエボで退団した記事by LINENEWS)
相手がいてミスが多い競技特性がある以上、「自分たちの…」だけで勝つことはありません。
こうして考えると、おれのサッカー観戦の出力(アウトプット)をするとき、知らず知らずのうちに「オシムの考え」の一部が浸透しています。
今後、このようなコーチ・監督が、日本に来てくれる望みは薄いと思います(日本サッカー協会が なので)。それでも、オシム氏のように魅力的な方が、日本のチームを率いてくれることに夢を見ています。