上松瑛 現役引退

上松瑛が現役引退

おれは、このチームを応援し始めて11年経ちますが、最も寂しい引退です。

松葉杖の瑛コーチ

おれが浦安(当時のチーム名は 浦安サッカークラブ)を見始めたのは、2014年9月

当時の上松選手は、大怪我からのリハビリ中。当然ベンチ外

そのときは、松葉杖姿でタオルなど数種類のグッズだけを売っている売り場にいました。 シュっとした若いお兄さんとしての印象。選手とは思えないほど、気丈に振るまっていました。

その次の試合を見にいったとき、当時の声出しサポーターから「その年の天皇杯で、浦和レッズ相手に得点を決めた選手」という紹介があり、少しびっくり。このシーズン チームは関東サッカーリーグ1部優勝。初の地域決勝進出を果たすも、FC大阪に阻まれて昇格ならず。

上松瑛コーチの人気などの理由により、来年以降も応援してみることに。

プロフィールの一部抜粋↓

2010年代の上松選手

翌2015年

4月中旬の 舞浜で行われた日立ビル戦で戦線復帰

ピッチ内の選手へ送られる声援よりも、ベンチ近くでアップ中の上松選手への声援が大きかったです。いろんな人から好かれている存在であることを再認識。

この年は、特にVONDS市原相手に活躍。ホームでもアウェイでもゴール。それが効いて、関東サッカーリーグ連覇。地域決勝は2位となりJFL昇格

しかし、決定機を外すことも多く、清水康矢から試合終了直後にお叱りを受けることもありました。

JFLに昇格した2016年

沼津、Hondaに惨敗。青森にも負け。第4節のファジアーノ岡山ネクスト戦でJFL初勝利

この年は、竹中無双でしたが、上松選手の人気の高さは変わらず。

このころになると、球団外の人間である おれですら 上松選手の「コミュニケーション能力お化け(能力が異常なほど高い)」のすごさが分かるようになってきました。

翌2017年は、ドイヒーな成績 前期15試合で勝点9 柴田監督に来てもらった後期は15試合で勝点17

個人的には、今でも柴田監督とともに戦うことができてよかったと考えていますが、結果は降格。

降格するチームから、選手が個人昇格するケースは少ないのですが、上松選手はガイナーレ鳥取に個人昇格

上松選手がいなくなった後の2018年

監督の戦術以前の問題で、チームが崩壊。関東リーグで負け越し。上松選手の偉大さを知ることに。応援していて最もキツい年でした。

翌年2019年は、小島樹や橋本龍馬の加入により、崩壊が止まります。

そのころ

ガイナーレ時代の上松選手

上松選手は、ガイナーレで奮闘していました。

おれが見にいったアウェイ藤枝戦では、

センターバック3枚の左に入って、相手のデカモリシ(森島康仁)とマッチアップ

ガイナーレでも結果を出していました。

上松選手はガイナーレでも結果を出していた(プロ契約になった)2020年

ブリオベッカは、2015年以来の地域CL出場。

しかし、1次ラウンドで敗退。

年末には↓のレポートを書きました

↓のレポートの一部抜粋

翌2021年の1月5日

本当に浦安に帰ってきました。

同じ時期に、加藤大育 村上弘有 伊藤純也 林容平 峯 西袋 二瓶 小泉 が新加入

帰ってきた上松選手

上松瑛選手 新加入のお知らせ(ブリオベッカ浦安 公式)

2021年は、ホーム有観客試合でも、浦安市民のみ入場可能

ムービーアイさん制作のライブ中継を見ていましたが、その開幕戦でなぜかマッチオブザプレーヤー受賞

2021年は、守備の安定感& 伊川 峯 小島樹 石塚龍成により、22試合で勝点49を稼ぐも地域CL出場ならず。

翌2022年から、上松選手や林容平が輝きだします。連携が取れ始めてきます。

ベンチ外の試合でグッズ売り場や客席にいるとき、育成組織関連の方々やファンサポーターが自然と集まり、笑顔の輪が広がっていました。

しかし、その例外もあります。

11月23日(水祝)地域CL決勝ラウンド第1節 沖縄SV戦の試合終了直後です。

決定機を外しまくってスコアレスドローとなった試合。

試合が終わると、おれはセンターサークル付近での整列すら待たずに、球団所有の横断幕を撤収を開始

1人で横断幕を撤収し始めた直後、上松選手がおれのところに来ました。

2人だけで片付けながら、上松選手は「勝点3を取れた試合でしたよね?」と嘆きやら怒りとも取れる発言があり、おれは同意するしかありませんでした。

おれは↑にレポートでも書いたとおり、「決定機を外して下を向く選手にはムカついています」と言いました。さらに、決定機を迎えたとき、少しためらいがあるように見えたので、「サポーターは、シュートを外すことに対しての批判はしません。そのときが来たら迷わず打ってほしいです」とも付け加えておきました。このやりとりがあったとき、試合に出ていた選手は、サポーターにあいさつしていました。おれ以外のサポーターがチームコールの手拍子をしていたのを覚えています。(全社や地域CL 1次ラウンドは声出しOKだったのに、決勝ラウンドは声出しNG)

翌々日の地域CL決勝ラウンド第2節 FC刈谷戦

おれは、あいにく現地に行けず。金稼ぎが終わり、試合結果を見ると、ブリオベッカが1-0で勝利。

その得点者と得点時間を見た瞬間、背筋がゾクッとしました。

今現在でも、このときと同じ感覚を味わったことはないです。

そして、地域CL決勝ラウンド最終節 栃木シティ戦

上松選手は2試合連続のゴールで、昇格を大きく手繰り寄せます。

ゴールを決めて、声を出さないサポーターの隣にいた育成組織の子どもたちに向かってゴールセレブレーション。それを見て長編小説が感動のフィナーレを迎えて読み終えたような不思議な感覚になりました。

晴れて、チームはJFL再昇格

1度目の昇格も2度目の昇格も大貢献したのは、秋葉と上松選手だけのはず。

昇格して迎えた開幕戦

おれは欠席でしたが、上松選手は負傷。大怪我

そのシーズン絶望

目の前が真っ暗になりました。

シーズン序盤は全く勝てない(リーグ戦28試合中9試合を0勝3分6敗)状況でしたが、盛り返して準優勝。

主力選手複数が個人昇格した翌年

上松選手が復帰しても、ほとんど勝てません。

しかし、DFラインが安定し始めたことにより、上松選手の良さが出始めます。

ポジション取りが良く、ボールを保持しているときの姿勢(目線がブレずに高い。かっこいい)は、育成組織の子どもたちにとって見本となる活躍。

上松選手がピッチで活躍しているときは、サポートのやりがいがありました。

そして、2025シーズン

ホーム開幕戦では、貴重な先制ゴール&決勝ゴール

JFLのホーム開幕戦で初となる勝点ゲット。これが、現役最後のゴールになるとは夢にも思いませんでした。

その後もスタメンで出続けて、リーグ戦30試合中18試合でスタメン。

チームで2番目に年上となっても、ハードワークの良さは変わらず。

ベテランになってから、かつての清水康矢のように、チームを引き締める能力も兼ね備えました。

急な引退

引退が分かった瞬間は、予想外すぎて言葉が出なかったです。

ビジュアルが良いサッカー選手で「コミュニケーション能力お化け」は、ほとんどいないのですが、(ビジュアルが良いサッカー選手は、その能力が欠けていても 交友関係等は広めやすい)そういった意味でも稀な存在でした。

ウチはおとなしい選手が多く、(おれのように)球団の外にいるファンサポーターへの接し方に戸惑う選手ばかりです。上松選手はそんなことを感じさせない接し方ができていました。

上松選手が引退することは、多方面に影響が出ます。

ピッチ内での戦力ダウンはもちろん、ファンサポーターが球団を好きになるかどうか、育成組織の子どもたち、街の方々への印象etc.

もしも、(富塚選手もですが)上松選手が引退セレモニーを希望してもらえるのであれば、うれしいです。でも、笠松亮太のようにファンサポーターが居ても居なくても変わらない内容にするのだけはNG

笠松亮太の引退セレモニーは、本人からのあいさつがありませんでした。

上松選手が好きだから、ブリオベッカ浦安・市川のファンになった。

瑛コーチが好きだから、トップチームを応援している。

そういった方々は、何十人何百人もいます。

将来のチームで、これほどまでに愛される選手・愛されるコーチが現れるかどうかは分かりません。少なくとも、球団のパーパス「サッカーでともに成長し、まちを楽しくする。」に最も近づいた人物(球団代表、スタッフ含め)です。今後も、浦安や市川に住むなら、ありがたいです。

本当に寂しいですが、今後も素晴らしい人生を送ってほしいです。甚平野郎は、来年もチームをサポートしつつ 「ファン・サポーターに幻想を持たせない」球団を批判します。

では。みなさんよいお年をお迎えください。

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