おれが初めて箱根駅伝の追っかけをしたのは2002年。列車を利用し、田町(1区5km付近)と鶴見(2区1km付近)と戸塚(2区21km付近)と風祭(5区スタート直後)の4か所で駅伝を観ました。
当時の大注目ランナーは、2区を走る4年生の徳本一善(法大)でした。
しかし、予想外のアクシデントが起こってしまいます。2区の7km過ぎでケガによる棄権です。
これ以降、エースは2区を走るという風潮が薄れ3区も重視されるようになったと思います。
翌2003年駅伝中継の技術が飛躍的に上がります。
バイク中継の開始です。この年の復路で初めてテレビ視聴率が30%を突破しました。
その2年後となる2005年 箱根駅伝に神が出現。
初代山の神こと今井正人が2年生のとき、初めて5区を担いました。
史上最多の11人抜きを達成し、区間記録を2分17秒も更新(←これを書いているおれも、意味が分かりません)。この年以降、5区への注目度が急上昇。
注目度がピークに達したのは2012年。柏原竜二が4年のときです。沿道には、山の中とは思えないほど数多くの観客がいました。
柏原は福島県いわき市出身であることもあり、中継には「震災」という単語が幾度も出てきました。特に日テレ系列では、選手のエピソードを入れる回数が多いです。特に、「競技生活最後」を強調します。
監督車にカメラが入ることが許されているのも特徴です。この様子は「箱根駅伝の裏側」という番組で観られます。
(NHKのスポーツ中継では、エピソードが少ない代わりに〇〇省の意向を踏まえた中継をします)
こういった報道により、「他人に自分の人生乗っけやすい」状況が生まれやすくなります。
現在のテレビ視聴率は横ばいで、30%前後を推移しています。これは、以下の2点を考慮すれば驚異的です。
1.20年くらい前は、百貨店・ショッピングモールやチェーン店でも正月休みのところもありましたが、今では ほとんど営業している
2.現在は、可処分時間(個人が自由に使える時間)の使い方は多岐にわたり、全ての動画が月額料金で視聴できる
次回のブログでは、2.について話を広げます。それでは、また!