11月初旬、六大学野球の早慶戦を観戦した。
エール交換などを行いお互いの存在を尊敬しつつ、学生・OB・OGたちの応援で神宮球場は大いに盛り上がった。
スマホで早慶戦のwikipediaを見てみると、興味を惹く記事だった。初めての対戦は1903年。今から111年前である。その後は過熱の一途をたどり、
1906年秋、第1戦に勝利した慶應の学生が大隈重信邸・早稲田正門で万歳を行えば、第2戦に勝利した早稲田の学生も福澤諭吉邸・慶應正門に大挙して万歳三唱を行うなど、両校応援団は一触即発となる。応援席の配分を巡る混乱もあって、険悪な状況となった。更なる事態の悪化を危惧した両校当局は第3戦を中止、以後早慶戦は長い空白期間に入る。慶應が学生大会を開いて全競技での早稲田との試合禁止を決議すれば、早稲田も慶應に絶縁状を送るなど、両校の関係は修復不能と思われた。(以上wikipediaより転載)
その後19年の中断を経て、1925年に再開したとのこと。
現在の日本のスポーツで、過剰な煽りはJリーグの試合のみ見受けられる印象がある。
そういった煽りをしているモンスターサポは、試合禁止などといった事態を想定しているのか疑問である
………話を元に戻す
野球ではなく、サッカーの早慶戦は、1950年に初対戦があったらしい。ちなみに、国内サッカー試合初のナイトゲームである!!
Jリーグは20年続いた歴史を誇っているが、サッカーの早慶戦は今年で64年目である。およそ半世紀違う。
このことを知って、是非観戦したいと思った。
それから、2週間後に西が丘でリーグ戦が開催されることも分かった。
「西が丘」で「早慶戦」
おれが、西が丘に着いたのは、試合開始直前だった。
ヴェルディ主催試合よりずっと客足がいい。
特に、早稲田を応援するゴール裏はびっちりサポーター(学生)で埋まっている。
メインもバックも立見がでる盛況っぷりだった。
試合が始まった。
選手は特長のある(試合で使えるこれといった長所)選手が多く見応えがあった。
高校時代も有望だった選手が、下手なJ2よりも恵まれた環境で練習しているだけあって、みんなベガルタに来 (以下略)などと妄想するくらい上手い。
でも、1番惹かれたのは応援合戦である。
慶応の応援もよかったが、早稲田の応援は一体感がすさまじかった!
この応援を観るためだけに、西が丘に来た価値があった。
同点に追いつくゴールが決まったかに見えた瞬間の応援ボルテージは、J1と何ら変わらなかった。
それでも、試合後は、両校の学生とも煽らず荒れず、節度を持っていた。クリーンな態度に好感を抱いた。
次の試合の専大vs順大は、順大が個で押し込もうとしたが、専大の組織的なサッカーが上回り、専大が勝利。関東大学1部優勝となった。
ピッチ内外で見応えのある2試合を観戦して思った。
「これまでいろんなサッカーを観てきたけど(クラブワールドカップ決勝や海外のACLや東京都2部リーグetc)
大学サッカーをもっと観たい」
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